BLUEMAP FANTASY



第一章 〜囚われの少女〜




第十三幕『画策』








「レナ姫様、お芝居が始まるまであと一時間程ですが――」
 一国の姫と騎士ダニエルはオレリア城の書斎にいた。
 置いてある本はどれも小難しいもので、分厚く重たい本ばかりだ。
 城の教育係の学者などいるが、彼らは姫がいようと構わず、各々本棚に向かっていた。
(レナ様は一体このような場所で何をお探しなのでしょうか……)
「いいからあなたは静かにしていて」
 姫は視線を本に向けたまま、簡潔に一言だけ返す。ダニエルは何か気まずいのか何も言えず、返事すらできないようだった。

 学者たちが調べ物をしているなか、姫はテーブルの上に図鑑よりも大きな本を広げていた。何枚折と折り畳められているページを開いたそれは、建築の図面のようだ。その図面の大きさに姫は思わず圧倒される。
「先生は仰ったわ……敵を攻略するには地図を制する。これは……以前のオレリア城の図面ね……でも現在の物は載ってない……でもどこかにあるはずだわ」
 何やら姫は、独り言を呟いている。
(それにしても、手がかり一つない所からのスタートね……。まるで雲でも掴もうとしているみたいだわ)

「おお……これは! レナ姫様ではありませんか」
 白髭を少しばかり伸ばした、小柄な老紳士が訪ねてきた。小ぶりだが分厚い丸眼鏡の奥では、青銀の瞳を輝かせている。
「二コラ先生! いらして下さったのですね! ……一年ぶりかしら」
 どうやら面識があるようで、姫は思わぬ来客に歓迎といった様子だ。
「もう一年もご無沙汰しておりました。16歳になられた姫様を見ることができるとは、いやはや感慨深いですな」
 老紳士は、先程まで被っていたつばの帽子を手に取る。一年間を振り返り、思い出に浸りそうになったが、コホンといった咳払いで自らを律する。
「そんな事より。姫様がこのような場所に、一体何をお探しですかな? ……見たところ、城の図面をお探しのようですな」
「ええ。先生、どうしても現在の城の図面が必要なのです――でも、その理由はいえません」
(あの部屋の事を他言すれば、あの子が罰せられる――キャスリンは死罪だと言っていたわ……キャスリンを巻き込むわけにはいかないし、なにかヒントさえあれば……)

 姫はとてもこの学者を頼りにしているようだった。
「現在の城の図面ですか……ここにはないでしょうな。なにしろ、間取りや地図などは重要機密になっておりますからな」
 藁にもすがるような先程の勢いに伴い、姫の表情は輝きを失う。
「先生だったら何かご存知かと思って……」
「隣の、資料保管庫なら。もしかしたらあるやもしれません」
 学者の感と知識による重要な手がかり。それを聞くと姫はすぐさま立ち上がった。
「ダニエル・アンダーソン」
 静かな声で、騎士の名を呼ぶ。
「は……はい!」
 置いてけぼりをくらっていた騎士は慌てて返事をする。5、6名の学者から白い眼を向けられていた事は知らずに。
「私は資料保管庫へ行ってくるわ。あなたはこの本を片付けるのをお願いね」
 颯爽とその場から去る。大きな本が2・3冊程――それに一瞬目をやった後、ダニエルは敬礼する。
 静かな室内にカシャン、と鎧の音。各々研究に集中していた学者とっては、耳障りだったことだろう。
「ダニエル君。書斎では静かにお願いしますね」
 若い騎士は、老人にたしなめられる。鎧の騎士が本を片付ける間、しばらく書斎はピリピリとした空気に包まれていた。
「さて、ダニエル・アンダーソン君。君は急いで姫を追わなければ。それから姫様に、おいぼれが申していたとお伝えください――」
(えっ?)
 自分のすべき事に慌てるダニエルは、振り向く余裕はなかった。一刻も早く姫を追わなければ。
「わがままに生きるというのも、一つの道かもしれませんぞ。と」
 一体どのように返事をすればよいのかわからなかったが、そのまま背中で聞いたそれは自分に対する言葉のようにも聞こえた。
 今のダニエルには、その言葉の本意はわからなかった。


――


「あの……資料保管庫に用があるのですが……」
 資料保管庫前の扉は、いかにも頭の固そうな兵士によって守られていた。
「姫様であろうと、ここに立ち入って頂くわけにはいきません」
 姫は困り果てた様子でそこに立ち尽くす。
(どうしたらいいの……こんな時)
 後ろからカシャンと音を立て、騎士が追いついてきた。
「姫様。そろそろ劇場に向かわれた方がよいかと……」
 姫の姿が確認できて一安心だが、確実に傍で護衛をしたいダニエルは、観劇を勧める。
「えぇ……そうね。ここにいても、私にはどうしようもできないみたい」
 何もできないという無力感と、自分には無理だという絶望感。
「……やはり姫様は何か、ご心配を抱えていらっしゃるのですね? それが何かは存じませんが。でも――」
 騎士は力のない姫の手をとり持ち上げた。
「そんな時こそ、姫様の好きなお芝居を見ませんか? 姫様の安全は、このダニエル・アンダーソンがお守り致します。わがままに生きる、そんな姫様を全力で守りたいと存じます」
 少しキザなセリフをこの男は、至って真剣に申し上げる。
「ダニエル……ありが、とう」
 姫はそんなダニエルを大きく開いた瞳で見つめる。良い意味で、姫にとって意外だった。姫の想いとは少しずれてはいるが。構わず独白は続く。
「わがままなレナ様だろうと、私は……いや、皆はレナ様を愛しております」
 姫よりも年上の青年は、頬を赤らめながら付け加える。
「えっと……その、二コラ先生方がそうおっしゃっていたので」
 姫は柔らかく微笑み、白いグローブの手で鋼の指先を包み込んだ。
「そうね。あなたの言うとおりだわ――お芝居を見に行きましょう」

 しかしその微笑みは、悪戯な微笑みに変わった。
 姫は、足に絡みついてくる邪魔なドレスの裾を持ち上げた。
 ダニエルが気づいた時は既に、ヒールの靴で走り出していた。
「あっ! あの……っ!?」
 走るには動きづらい、鎧をまとった体で慌てて姫の後に続いた。
 ゆるやかなカーブを描いた階段を、上品なドレスを着た少女と鎧の音が駆け降りる。
「姫様! 何をそんなにお急ぎになっているのです!」
 お互いの走る速度は遅いが、まるで子供が追いかけっこでもしているかのような光景だった。
「私のお傍をお離れになっては危険です! 賊が紛れ込んでいることが万が一あれば」
 騎士は歩調を緩めるよう懇願する。
(――万が一)
「……あれば?」
 階段の途中で、姫はようやく立ち止った。
 そこからこちらを振り返り、ほんのすこしの間見えたのは、柔らかな微笑み。その微笑みは、一人の青年の時を止めた。
「あなたが助けてくれるのでしょう?」
 思考が停止し、視線は自分に向けられた表情に、全てを奪われた。
「は……はいっ!」
 姫に返事をした時、すでに時は動いていた。
「姫様~!」
(……元気になられたご様子だな)
 ふわりと身軽に、姫は石の階段を降りてゆく。
 青年はその姿から、結局片時も目を離すことが出来なかった。


――


 劇場は王宮の一部となっており、その一階は一般人の席だった。
 そして二階は独立した王族の席を中心に、そこから左右に貴族と来賓の席が分かれていた。つまり王族は、一番の特等席である正面から劇を見ることができるのだ。

 一国の姫は青年の騎士を侍らせていた。どこか浮かない表情をしており、別の場所に心を置き忘れたかのように無機質だ。
 どんなに明るく気丈に振る舞おうとも、一抹の不安と罪悪感、無力感に苛まれ、観劇を心から楽しむような心持ちにはなれなかった。





                              -第十四幕へ-





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